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中日新聞・朝刊(2月6日)の「福祉のこころ」の欄に
こんな記事を見つけた。
=言葉がわがんね=
「言葉がわがんねでは、すっかたなかんべな
(言葉がわからないでは、仕方がないねー)」
軒下に残雪のある新潟でグループホームを
訪ねた時のこと。
「つららは土地の言葉ではどう呼ぶのですか」と
認知症のおばあさんに聞いたら、この返事だった。
あわれむような、あきらめたようなおばあさんの
表情に私はお手上げ。
つららとは、雪が屋根に積もって日差しに解けて、
軒から雨だれになって、寒い夜に凍ってできる
氷だけど・・・と聞くと、なお「わがんね」。
私の標準語が通じないのだ。運良く東京出身の
利用者がきて新潟弁に“通訳”してくれ、いっぺんに
解決した。
答えは「たろんぺ」。
新潟弁のつららは、なんて親しみのある言葉だろう。
子どものころ、つららをぺろりとなめたら、炭の味が
したものだ。
ふと、デンマークのオーフス市で国民精神学校に
学んだ日本の青年が「私は“言語障害者”だった」と
話したのを思い出した。知的・精神障害者と健常者
が50人ずつ、一緒に一年間合宿し「ともに生きる」
ことを、生活を通して学ぶ。
デンマーク語ができない彼を、精神障害の青年が
英語で支えてくれた。
「生活のことを考えたら、ハンディキャップ(障害)
のない人なんかいない。誰もが誰かと、支え合って
いる」と彼は学んだのだ。
<高間睦 氏>記
私としては、何を以って「健常者」とするか疑問だが・・・
それは兎も角として、この記事を読みズシンと堪えるもの
があった。
健康な体と心を持つ人が「障害者」を支える。
と考えていたのが根っこから覆された心地・・・
うーん・・・そうか・・・
言葉の通じない異国では、私もこの青年と同じように「言語
障害者」なのだ。
うまく言えないけれど・・・
うんうん・・・と頷ける記事だった。
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